カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の221件の記事

2012年4月30日 (月)

人のエゴ

エゴイズムってどういう意味かをまず述べると、
簡単に解釈すれば自分中心の考え・自己の利害を判断の基準とした観念を意味している。
つまり、他人の道徳や世界の規範に反したことであっても、エゴイズム(利己主義)的には「正しい行い」である場合や「すべき行動」である場合も存在するということになる。
ちなみにここで述べるエゴイズム(利己主義)は、哲学で表すところの心理的利己主義である。

分かりやすい(かもしれない)例を挙げよう。


ある恋人のいない男性が、性欲を満たしたいためだけに、ある女性を探すとき。

そもそも愛があってこその行為だという規範がまずあると思うが、
これ自体は法律や憲法でも規制はされていない。
つまり当人同士の道徳心という形で捉えれば、他人への害がない限り、行為自体の道徳性は本人たちの考えに委ねられるものである。
ただし、相手側がどのような女性であったかで状況は変わってくる。

例えば人妻であった場合。
これには法的な制限が発生するため、本質的には「悪」である。

次に、恋人持ちであった場合。
こちらには法的な制限は発生しないものの、恋人である男性に対して不利益を与える可能性がある。
そのため、本質的にはこちらも「悪」である。

さて、では女性が単身であった場合はどうだろう。

双方の間には、誰かに不利益を与える状況が存在していない。
さらに、彼らには快楽を求める部分で利害が一致するため、この場合のエゴイズムは道徳の影響もなく「正」となるのではないか。

しかしながら、その場だけの利己主義には限界があると考える。
この行為で、後々恋人となる相手に影響を与えてしまう可能性は否定出来ないし、
そもそも自分の体が「自分のものである」と証明できていなければ、
家族や親友、その他社会が受ける影響もゼロとは言えない。

エゴイズムとはその場限りの行為ではなく、
自分の幸福を最大限に得られる利益を常に優先して考えるべきである。

中途半端なエゴは、必ず誰かを傷つけ悲しませることを覚えておかなければならない。

ちなみに恋人持ちや夫・妻持ちである人間が、自分の利害のためだけに相手に対して「単身である」ことを
主張した場合のエゴイズムは、その主張した側にしか認められない。
結局嘘で固められた利己主義は、自分も然り周りを不幸にしていくことを心に留めておくことだ。

2012年4月11日 (水)

親と子

最近親と子供の関係についてよく考えるようになった。

多分その根本は自分がもう時期親になることと、
子連れ婚による養父となる所に関係してくるんだろう。

私自身も実は子連れで(父親の方)、中学2年生の途中から養母と共に生活してきた。
そういった経緯もあるからこそ血の繋がっていない子供に対する接し方や育て方の難しさはよく知ってる。
逆に子供の気持ちにも理解はある方だと個人的には思っている。

子供にとって親が選んだ相手であれば大概は問題はない。
でもやっぱりどこかしら気を遣う部分があるし、
接し方としてどこまでやっていいのか考える部分もある。
でも、自分にとって幸運だったのは、養母が真正面から自分と向き合ってくれたことだ。

記憶にあるかぎり、中学の頃は本当によく衝突してた気がする。
向こうにとってはこっちの気持ちがわからないし、
何より母親としてどこまで教育として相手を受け入れ、叱ればよいかの判断も難しかったと思う。
大人になった今では、その頃の母の気持ちが凄く理解できる。
自分も今の連れ子に対し、どこまで踏み込んでいけるかを考えると、
正直嫌われる恐怖や拒絶される不安もある。
しかし私の母は父に強く言われることもなく、凛とした姿で心から接してくれた。

父からあとから聞いた言葉があった。

「お前が14歳の当時、本当に辛くて母は毎日泣いてた」


この言葉を聞いたのは私が20歳を超え、社会人として社会に出るちょっと前のことだ。
自分にとってそこまで母を追い詰めていたとは思っていない。
しかし、逆の立場からすれば赤の他人の子供のわがままや反抗期は、
恐ろしい凶器だったに違いない。

そんな家族関係のせいか、私は親には頭が上がらない事が多い。

だからこそ今の結婚話もなかなか許しが出ないことに悩むばかりで、
自分から勢い良く信念を以って貫くことができかねている。
そしてそれが妻の気持ちをも不安にさせている。
全ては自分に原因があるとわかっている。

実際は私の結婚についても親は認めてくれるものと思っていたのだ。

今まで自分が受けてきた親の愛情を、今度は自分が連れ子および新しい子供へ与える番だと、
そう思っていたからそれをきっと認めてくれると。
しかしその考えは甘かった。

やはり母の苦悩を一番身近で見てきた父だからこそ反対するだろうし、
母としても自分と同じような不安・葛藤に悩まされることなく家庭を築いて欲しいという気持ちがあるのだろう。十分それは理解できているつもりだ。
けれど、自分はもう彼らの子供である前に、
一人の大人・親として自立しなければならない時でもある。


個人的には今まで、親の勧める高校・大学と選択してきたと思っていて、自分で道を選んできたとはあまり感じていない。それが初めて変わったのが就職だった。


私は、子が大人になるときというのは、
自分で自分の道を選び、全ての責任を負ってそれを進むときだと考えている。
だから道の途中で他人に頼るようなやり方の場合はまだ子供なのだ。
完全な自立とは、自分自身で全てを負える覚悟を見出すことだ。

そこに親と子の関係はない。
あるのは、個と個の人間同士の繋がりだ。
そして最終的に子は親を、親は子を一人の人間として捉え、
お互いの人生を支え合うパートナーになるのではないだろうか。

2012年3月17日 (土)

表現することの自由

最近表現の自由について暗黙的に議論してる話題が多い気がしている。

多いと書いただけに例をいくつか紹介したいと思うけど、
よく考えたらそんなにないのかもw

例えば韓国人がYoutubeにアップロードした震災ネタで日本をDisった動画。
あれも時と場合を考えれば、ク◯の掃き溜めになっている某2chでは当たり前の出来事だと思う。
自分も普段からバカ◯ねキチ◯イ言ってるやつがわざわざ動画に向かって「不謹慎だ!」というのは、
一体良心とは、表現とはと自分を軸に考えたことあるのかなーって。
この場合はどっちもどっちだと思うけどね。そういう人って、匿名というだけで自由が増えるというある意味では悪い錯覚に浸りすぎているのではないかなー。。。
何を以って自分を保護するかだけに着目しすぎて大局を理解できてないのではないかな。
でもまあ、ダメなことにダメというのはどんな悪人でもその権利はある。

同じような事例で、よく炎上の元になっているTwitterの利用者の家高校生や大学生たち。
彼らがつぶやいているアホ臭い犯罪ネタも、一応は色々と表現する自由があるわけだが、
奇妙なことに(あるいは素直すぎるのか)彼らはストレートに教えてくれる。
昔を思い出せば気持ちは分かる。結局彼らにとっての自由は憲法や国によってさえ保護されていない、
もっと大きな存在なのだと。夢見すぎなんだよね社会に対して良い意味で。
で、現代はそれを目にする機会が、近所の友人だけにとどまらず世界中の人々に存在しているせいで、
彼らの欲求ーー自分は人と違うアウトローだとかアイデンティティの主張ーーは、
昔以上に満たされる形だからこそ、こういう現象って無くならないのかもしれない。
というより、わざわざ自由の観点で見なくても、
彼らにとって便利に他人に近況報告ができるツールとして、SNS全般が日記や直接会話することの代替策になっているだけなんだけど。
つまるところ結局、彼らも自分たちがやっていることに俯瞰的な捉え方を持ち合わせていないだけ。

さらについ最近の話題だとあれね、Amazonがたった1人の通達で取り扱いを止めたっていう某雑誌の事件。発狂している人たちは大抵虹が好きな方々だろうと思ってAmazonに通達した当事者のTwitterにおける発言を見てたけど。。。なんというか自由って本当人の数だけあるんだなって感じるのだ。

彼女にとって規制されるべき自由は法律のもとにあるわけで、
それをちゃんと理解しているからこそ法規制に対する動きも見せている。
逆に反対している人たちの意見が欲求の捌け口だろバカ!っていうなんともまあ自分たちの立場や欲求を低俗化させちゃってるものだとげんなりする。
勿論、声高に叫びたいであろう「虹ロリが好きなことと3次元ロリが好きなことが別なのだ」っていう主張は、多分一般の人には伝わらないだろう。でも逆に、ジャニーズが好きなのと一般男性を対象とした恋愛は違うんだとか、
芸能人とその辺の男に対する「好き」は違うんだっていう主張に変えると、案外すんなり理解してもらえるんだろうなと思ってしまう。そんなこんなで話も聞かずに個人の価値観を否定するのは全く良い傾向じゃない。

ちょっと話がそれたけど、個人的には彼女の主張は別に変なところは無いなーって感じる。
1つだけ明らかにおかしいのは、彼女自身が彼女について真正面から向かい合って理解しているにも拘らず、自分のことを棚に上げた発言がやたら多いこと。。。
本当に自分に向き合えているのなら、過去のことが明らかになる前に自分の主張をするために「自分に嘘はつきたくないので実は…」って切り出せるはずじゃないのかと……。
掘り返されて逆キレ気味に「やってたけど今となっては反対です(キリッ」ってされても……。
(Yahoo!での評価コメントやその他つぶやきを見るかぎり、彼女の性格であって癖なんでしょう)
自分もその傾向があるのであまり強く言えないけれど、
主張すべき持論があるのなら、まずそれを示す論拠を挙げるべき。
特にTwitterみたいに1度につぶやける文字数が限定され、あからさまなミスリードが生まれやすい場所においては更に注意して発言しなきゃだめだ。
(これについても「あんたが勝手に勘違いして騒いでいるんじゃないか!」っていう彼女の@リプライがあったけど、それはちゃうやろ…なんでもかんでも相手のせいじゃないってばorz)
その他その根拠はあるんだよ的な発言も多数……。

んで、彼女もそうだけど一般論と持論を同一軸で考えている人は意外と多い。というかそういう人ばかり。
そもそも発言の一つ一つに付随してくる「一般的」だとか「普通は」とかいう単語に、
一体どれだけの根拠が含まれているか考えても損する事のほうが多い。
そんなところ突っ込む前にまずその発言にどれだけの信ぴょう性があるのかとか、
自分なりに判断してスルーすべきかどうかを考えたほうが、
余計なインプットしなくていい分自分の記憶量の軽量化につながる。
そういう時に使う言葉こそ「そっかぁそりゃあすごいね」だ。


最後に自由についてもう一つ。


個人で自由な価値観を持ってやっていることに問題はないが、
自分の子供や友人と写った写真を、本人の了承無しでWebで全公開しちゃうのは本当にいいことなのだろうか……。特に子供の場合、公開されるということがどういうことか分かってない子もいるだろうし。
海外では家族が自分の部屋に入ってきたからプライバシーの侵害だ!と子供側の訴えが通った事例もあるし。
子供に対してのプライバシーや情報教育って、メインはやっぱり親がしなきゃだめなんでしょ?
まあ、そのうちネットに画像を公開する事が危ない!という考え方自体古くなるのかもしれないけど。


2012年2月13日 (月)

落としどころ

人生20数年生きて30までもうすぐという歳になってきて改めて思うことは、
いつ自分の後悔と決別して前を向き直すかってことだ。

個人的な気持ちだが、
人として生きてきて青春時代をそれとなく経験してきたのであれば、そこまで大きな後悔はないのかもしれない。
けれど逆に、今の自分が思い描く自分の理想像と過去の自分とを対比させたときの差が激しければ激しいほど、後悔の念だとか反省すべき点だとかは多くなるんじゃないかなと思う。

それらがすべて青春時代に取り返せるようなものなのかどうかは、正直今となっては知る由も無い。
しかしながら、社会的自由と引き換えに手に入れた余り得る時間を有効に使ってさえいれば、もっと前に進めたんじゃないかと思うのは必然だともいえる。

でもそういう自分をいつまでも引きずっていたり夢見てたりしても現実は変わらない。
だから、そういう思考って何かのきっかけをもって変えなきゃいけない。
これも個人的だけど、そのきっかけって自分に子どもができた時や自分が新しいことに興味を持ったりしたそのタイミング、つまり自分の人生観がガラリと変わるときなんじゃないかと思うわけです。


その人生観って自分が振り返って観てる過去の自分の生き方を表しているわけだから、結局「おれの過去だめだめじゃん」と思ったその時点で自分の人生観は昔と変わっちゃってるということに気づかなきゃいけない。

だから過去を振り返って後悔しているで、自分は変わらなくちゃいけない。というか変わっているはず。
でも今の自分を作ってきたのは昔の自分なわけで、
簡単に変われるのならそもそも今の自分が後悔するような人生を作り続けてきているわけがない。
そういうジレンマに人は悩まされるんじゃないかなと思う次第であった。

つまりね、人生観に従って行動するってことと自分の理想とが剥離してしまうんだと。
なんでこうなるのかっていうのはすごく簡単で、
誰もが真面目に自分の人生を毎日毎日考えていきてるわけじゃないから。
おかげで理想と現実はちょっとずつズレてくる。

気づいたときには理想は遥か遠くにあって、
それにたどり着く術を持ち合わせない無力な自分が出来上がってるということ。


同僚が夢を持つ人が羨ましいといってて、
夢の大きさはでかい方がイイとかロマンチックな方がイイとかそういう観念があるらしい。
そいつ自身にとっては日々をのらりくらり生きるってのが人生観なだけで、夢のある人生を羨むなら自分を変えるしかないねってつたえたけど、現実をみると難しいんだと言っていた。

まあそんなもんだよね人生って。
きっとこの同僚は、日々の生活の中で夢にできそうなことを探すことで、これからの人生を形成していくだろう。
それって十分な生きる目的だから、
個人的には十分この生き方も羨ましいと思う。


ということでなりたい自分の対象によっては、
夢も目標もいらないなと思うのであった。


2012年1月19日 (木)

責任

個人的に人とは、生きているだけでなんらかの責任を負っているものだと考えている。

例えば自分の命を粗末にしないことだってそうだし、
自分を不快にさせないように努めるのもある意味自分の責任である。
自己表現だけで完結する責任ではあるが、
十分自覚できる所為ではないだろうか。


そんな私は夏を迎えるにあたり、
自分の家族を持つことになった。
新しい命も母体に授かっている。
さらに2人の子供を入れて一気に5人家族だ。

親からは未だ承諾を得ていない。
ただ、今回の出来事でこれまで自分の責任で自分が思い自分で行動してきた事が少なかった私にとって、
様々な意味で親からの独立を意識することになった。
これはきっと、向こうもそうなのではないかと思いたい。

結局のところ子供も人間であり、一人の人間として責任を持つ。
それは小さいうちからそうであって、親がいるからとて変わるようなことではない。
私は私なりに、今後子供達と触れ合っていく中で必ず心がけようと思っていることを見出している。
それこそが一人の人間として子供を育てることだ。
そうやって血の繋がりを超えた家族を作っていきたい。

一人一人が自分のやりたいことを責任を持ってやっていける場所。
少しでも役に立てる親としてだけでなく、
子供と共に成長していく人間でありたい。


2011年12月22日 (木)

イルミネーションと節電

節電を各地域の電力会社がお願いしているさなか、
一部アーケードではLEDの電飾とその他クリスマスアイテムで光々とライトアップされ、
カップルを待ち受けるかのように幻想的な世界を創りだしてますね。
ね!
なんというかねー。

大阪のイルミネーションも出張がてら見てきたし、
福岡は博多駅のイルミネーションも見て帰ったけど、
やっぱ一つ言えるのは「LEDの恩恵すげぇ」ってこと。

青色発光ダイオードが発明されたことはつい最近のことで、
これのお陰でレインボーでカラフルな色をLEDで表現することができるようになった。
実はまだ10年くらいしか時を経てないんだけど、すでに当たり前のようにように街中で見かける光景になってるし。

なんというか、時間の流れと一緒に、今までは「おかしかったこと」とか「当たり前なこと」っていうのが、変わってしまうんだなと。

今年は震災もあって日本全国ががらりと電力に対する意識を変えるきっかけになったが、
これは偶然とか必然とかそういう理由付け以前に、
未来へ向けて考えなければならないことがひとつ皆の心に刻まれたわけだ。
これまで漠然と存在していた「安全」だとか「平和」だとかいう言葉の安売りを、
これから国民一人ひとりがしっかりかみしめて向かい合っていかなければならないのだと。


クリスマス時期の綺麗なイルミネーションの光がそこあるのは、当たり前でもなんでもない。

2011年12月18日 (日)

後悔先に立たず

最近土曜日はいつも歯医者に行っているので、朝が早い私です。

いってるとこには女医の歯科医師さんがいらっしゃって、珍しいなあとか思ってるけど実際多いんですかね。もう6年振りくらいに歯医者行ったからわかんないや。。。


そんなこんなでようやく土日もあさからそれなりにゆっくりできるように習慣づいてきました。
この調子で時間を有効に使って行こうっと。


んで、いつもながら「今日はあれをやろう」「あれしなきゃ」とか思っててもなかなか思い通りにいかなくて結局一日振り返って後悔するんですよねーうんうん。
まあそんな感じで今日ものんびり過ごすんですよと。

2011年12月 7日 (水)

企業研究と自己分析

1323254622913.jpg
つい先日、ちょっと前になくしてしまたDENONのイヤホンの代わりとして、新しいイヤホンを購入しました。今回はゼンハイザーです。
BOSEのIE2と悩みましたが、やっぱりカナル式は外せない仕様だったのでこちらに。
どうもiPodなど携帯端末専用のイヤホンらしく、コードの途中に音量調節するスライダーがついてます。これ便利! 音もこもらずすっきりした高音と、響く低音が好きです。ちょっと高音(とくにサ行)が耳に刺さる感じはありますが、まあまだ使い始めなのでこれから音が馴染んでくれることを期待してます。


で、こっから本題。

最近テレビでもやってますけど、2012年の就職活動時期は例年と比べ2ヶ月遅い12月スタートになってます。
そのおかげで学生諸君は例年よりも短い期間で企業研究や自己分析など内定取得のための対策を練る必要があるというわけです。
その不安感を意図的に煽るのかどうか知らんけども、
テレビでは「FacebookなどSNSツールを活用し、企業のビジョンや欲しい人材のあり方を模索すべし」だとか「会社の雰囲気だけじゃなく将来性や安定性を意識して、自分に合った企業を選べ」だとか、余計時間のかかることをたんたんと述べてくれてます。バカかと。
そんな暇があるのなら履歴書やエントリーシート書いてた方がマシです。
自分で調べられることと他人を使ってできることは別々に考えるべきだと思うのですが。
企業研究なんてみんなでやりゃいいでしょ。
馴れ合いじゃダメだけど、一人で悶々と考えたところで、見えてくる企業のあり方なんて社会を知らない学生ならせいぜい半分くらいでしょ。
だったらそういうのはOBだとか本物の社会人だとか、詳しいやつに聞くなり教えてもらうなりしたほうがよっぽど効率がいい。
こんな簡単なことをなぜテレビじゃ言えないのかな。就活で孤軍奮闘するおれかっけぇww な気持ちもわからんでも無いけどもw


とりあえず自分が思ったことや考えたことをまず書き出せ。
んで、それが自分の志望する企業のニーズとマッチングしてるかどうかを比較するだけでいいんだって。
ちょっと考えればわかるけど、企業なんてトップが変われば企業方針も変わるし、社内部署だって変われば役割や目標も変わる。1年おきに内部が変わることだってあるんだから、「今」だけの企業情報なんて当てにならない。
それに将来性だとか云々が学生にわかるのなら、
アナリストも経済学者もこの世で必要とされなくてもいい立場だろと。 よっぽど株投資してた方が金になるわww

だから、学生は小難しい企業研究に悩まされる必要は無い。悩むだけ無駄。調べるだけ損。
知っておくべき情報の取捨選択さえできればいい。
(過去2年間で新製品の◯◯が強みになってるとか)


んでもうひとつ自己分析についてはもうメビウスの輪に入り込む前に、自分に素直になって考えればいい。
自分なんてたった1年あるいは1日でも青天の霹靂で人生観や価値観がガラリと変わる事だってある。
だから「自分探し」に答えなんてないとおれは思ってる。
そう考えればあとは簡単で、現状の自分を「
いかにもすごいやつ」にみせられる文書構成や説明力を身につけた方が相当役に立つ。
職人でもない限り、必ず文章力と会話力は必要なんだから、就職活動で身につけて置いて絶対損はしない。自分探しの能力なんていらんわw
なので、自己分析のプロセスで大切なのは、自分についてわかったことを「カッコ良くクールにまとめる」部分。そのほかは適当でいい。
とはいえここでそのプロセスのすべてを挙げてみろと言われても対して考えてないので勘弁願いたい。


ということで2012年就職活動組の方々は全く悲観する必要は無い。
むしろ期間が短くなった事で「効率性」「計画性」という新しい判断要素が生まれたことに悲観しつつそれを考えていくべきだ。
こればっかりはねー。。。 適当じゃだめだからw

人生諦めも肝心だぞ。
特に学生時代にたいしたことやってない人ルーズでズボラだった人は、推薦やマッチングなど他力本願した方がマシ。マジでお祈りされまくって鬱になるだけだから。

最後にもう一度。
今の自分の自己分析ができたら、まず志望企業とマッチングをする。ダメなら諦めろ。これ大事。
どうしても諦めきれないのなら、浪人したり進学したりして心機一転で頑張れ。
合ってそうなら自分を脚色しろ。履歴書でも面接でも。それで落ちたら相手がダメだったと開き直れ。
あと自分の脚色力を疑え。人に見せろ。真剣に自分んはこうありたいからこう書いたと伝えろ。
人に何か言われたからって簡単に修正するな。脚本家も演出家も自分だ。相手の意見を丸呑みして変えたところで、芸能人でも無い自分がそれを演じ切れるわけない。
あとは自分次第。結局そこ。
だから自分を見失わないようにすることが一番重要。

と、今は思うw

2011年11月15日 (火)

免許更新と修理

1321355339322.jpg

熊本に帰って免許更新してきた。
参考バス乗るの8年振りくらいで免許センターへ。
狭い道も自転車歩行者に構わずガンガン進むバスに惚れた。

んで、その先週はバイクの修理をバイク屋に頼んだ。
約8
ヶ月振りだったので覚えていてもらえず。仕方ないけど。

でもまあやっぱり優しくしてくださいましたとさ。

そんなこんなで忙しい(仕事以外)毎日を送りつつ、
休日の有効活用を頑張ろうと思う今日この頃だった。

2011年10月28日 (金)

日本を考えることをやめた

日本はダメだから自分が政治に参加しても意味がない。

日本はおわっとる

日本が嫌いだ


結構こういう理由で自分で日本の政治から離れて行く人が多い気がしてる。
逆に考えれば、テレビやインターネットでだけわいわいディベート(笑)討論しまくったところで、
実際に政治へ目を向けて動かないといつまでたっても腐った政府と滅びゆく日本の行く末を変えることはできない。

でも大抵の人は話しただけだったり不満をもっただけで自分は日本について考えた。それに自分一人がどうあがいても今の日本のビッグウェーブを変える事なんてできない。と思う人のほうが多いのかもしれない。

いつも思うんだけど国民の政治への参加は選挙という形で憲法でも「義務化」されているんだから、
真っ向にそう主張したいのなら最低でも白紙の投票用紙をもって主張しないと本末転倒だと思う。
「政治に参加しません」という無投票は、政治側からは「好きにしてくださいまかせます」という風にしか受け取られないし、なにより自らが日本の行く末について責任放棄したのも同然じゃないか。

それでいてテレビで天下る官僚や税金の使い道に文句をいう。
それは順番が違う。

やることやってから主張しろというのは国民の声だろ?
その声を発する国民自身がやることやらずに政治に物申すってどんだけハッピーな民意性なの?

だから政治家に国民はバカにされる。


もうね、負のループに入っちゃってるんだよ。


これはそうなるよう義務教育の方針からすでにネガティブキャンペーンを続けてきた政府と、
腐ったマスメディアの世論操作と、
考える力を彼らから取られて、能天気に自分を棚に上げた生き方を続ける偽の平和ボケ国民がつくりあげてきた長い歴史があるわけだ。

つまり、トップダウンの意思決定で今の日本になるようなったんだと思ってる。

日本はボトムアップが社会的にも通りにくい。
そういう難しさも国民の政治不参加に対する理由の一つかもしれない。

でも、今が変わるときだと思うわけよ。
メディアは多様化し、国民は少なからず身近に政治を考えられるコミュニケーションの場を得た。
政治家はまた今まで潰されきた個人の思想を、
あらゆる方法で伝える術ができた。

一度団結すれば強固な意思を持てる日本だからこそ、たった一人の行動でもそれを連鎖的につなげることが出来れば何も無駄に終わることなんてない。


まあ、そんなこんなで今日はマヤ文明における世界
の終焉の日なので、みんなさよなら^^

より以前の記事一覧